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いわきにて (2000 10/30〜10/31)

 福島県いわき市にある藤原小学校でのコンサートを終えた嵯峨は、帰りの特急「スーパーひたち」の中でモバイルに向かいレポートを書かずにはいられなかった。 前日入りした嵯峨が見たものは? <I>藤原小学校レポート <II>前夜の出来事と、2本立てでどうぞ。


 

< I > 藤原小学校レポート

 内地(本州)での演奏会の場合は、旅費の都合でツアーを組ませてもらうことが多い。しかし今回はどうしてもスケジュールが合わず、学校での演奏としては初めての「単発」内地公演となった。

 呼んで下さったのは、いわき市立藤原小学校の佐藤以津子さんという女性教諭。今年(2000年)8月の白布温泉(米沢)での演奏を、たまたま彼女が聞いて下さったのがご縁。(こういう繋がりは本当に嬉しいものだ。)この小学校での芸術鑑賞は毎年クラシックが続いていたそうだが、今年の企画担当者となった佐藤さんは、その状況に一石を投じるべく、わざわざ僕を札幌から招いてくれたのだった。こうして非西洋音楽への関心を高めようと奮闘する先生は徐々に増えているように思う。嬉しいことだ。佐藤さん、ありがとう。

 秋晴れの気持ちいい朝だった。小学校は山の中ののどかな風景の中。私にしては珍しくちょっと早く着いたので、給食係の人に学校への入り口を聞いて中に入る。乗って来たタクシーが職員室の窓から見えたのだろうか、すぐに佐藤さんが出迎えてくれた。

 演奏で学校に伺った場合、真っ先に校長室に通されてご挨拶となる。校長先生が音楽やモンゴルや演奏者に興味を持っている場合には、結構話が盛り上がるのだが、今回の校長先生は、私が何者なのか、どんな音楽を演奏するのか、そして私の名前の読み方まで、よくご存じない様子。こんな時は「会話しなきゃ」的な時間がつらい。一刻も早く「会場の下見」がしたいと思っていた矢先、折良く佐藤さんが校長室に呼びに来て下さったので、楽器を持って飛び出すように体育館に向かった。

 ほとんどの学校がそうだと思うが、藤原小の体育館にも音楽用の音響装置はない。そこで、用意して頂いた体育館備え付けのワイヤレスと有線のマイクを、歌と楽器用にそれぞれ用いる。サウンド・チェックには時間をかけた。佐藤さんともう一人のスタッフの先生に、先ず生音の演奏を聴いてもらい、続いて今度はマイクを使って演奏する。そして、生音との印象の違いや、楽器と声の音量のバランスを指摘してもらう。あとはマイクの距離や、マイクを当てる場所をパラメータに試行錯誤を繰り返し、ベストと思える状態でサウンド・チェックを終える。実際、こうした時間が取れただけでも良い方だと言わねばならない。マイクを当てればそれで即OKと思っている人は以外に多いものだ。

 基本的に子供達の前ではデール(モンゴルの民族衣装)を着て演奏することにしている。保健室で着替え。大人になっても保健室は何となく落ち着くから不思議だ。

 全校生徒二百数十名が体育館にイスを並べる。デール姿で体育館に入って来た私に、みな好奇心をかき立てられている様子。初めに校長先生の挨拶があった。「音楽は耳だけでなく心で聞きなさい」と話し始めたが、「今日演奏する方は・・・・・」で詰まってしまい、さっき手渡した「のどうたの会ニューズレター」を見ながら、やっと私の名前を紹介。「心で」聞かなければならないのは音楽だけではないような気もする(僕も人に言えた柄じゃないが)。

 今回は比較的長時間(休憩入れて約80分)の演奏会だったにも関わらず、子供達は真剣に聞いていた(ざわつきが心配されていた1年生の子供達も含めて)。文化紹介の話や、口琴の演奏、喉歌教室、Q&Aも交えて代表的な曲を演奏。終演後、一学年ずつ集まって、間近で楽器を見てもらう。モリン・ホール(馬頭琴)の弦が細い糸の束であることを知って驚きの声があがる。口琴欲しいという声も。もっと近づきたい、出来れば楽器に触りたいという好奇心が顔いっぱいに表れているが、私との距離が集まる子供達の学年ときっちり比例していて面白い。終演後、廊下には喉歌を練習する声が響いていた。

2000年11月1日
のどうたの会 嵯峨治彦

 

 

< II > 前夜のドラマ

 さて今回も、のどうたの会事務局の「静かなるぽん」こと田中孝子が、交渉から旅の手配までやってくれた。(感謝)日程と予算の都合により、演奏日の前日に羽田経由で福島入りすることになった。小学校のある いわき市湯本は、これまた温泉街。佐藤さんに3つほど挙げてもらった候補の中から、朝食付きでのんびり出来そうなホテルを、ぽん田中が選んで予約してくれた。

 10月30日朝11:15のフライトで千歳空港を出発。前の晩に盛大にやった「ゆきあひ」北海道ツアーの打ち上げで、アルコールが多少残っている感じだ。→羽田→浜松町→上野→湯本と乗り継いで、湯本駅に着いたのは17:00ぐらいだったろうか。

 湯本駅でタクシーに乗りこみ、かばんからぽん田中謹製の旅程表を取り出して運転手に行き先を告げる。「ホテル・ハワイアンズまで。」、、、今朝、旅程表にざっと目を通した時は気がつかなかったが、こうして言葉にして初めて湧きあがる疑問。「何故ハワイなのか?」

 突然頭の中に、かなり小さな頃に見た印象的なTVコマーシャルの一つがフラッシュバックした。それは20数年前に(たぶん)東北一帯で放映されていたと思われる「ジョーバン・ハワイアン・センター」のCMだ。。。土俗的な太鼓の激しいビートをバックに、沢山の腰蓑の女性達がものすごい速さで腰を振りながら踊って近づいて来る。カメラは時々顔や腰のアップになる。と、突然、太鼓がブレイクして、ゆっくりしたリズムになる。すると腰も、それまでとは違う何とも言えないゆっくりした動きで左右にゆれる。当時小学生ながら、おぉ、と思う。すると直ぐまた元の激しいビートに戻り、腰もブンブン動き出して、たしか「常磐ハワイアンセンター」のナレーションが入り、ズームアウトしてCMは終わる。時間にしてわずか十数秒のCMだったと思うが、印象は非常に強かった。録音レベルを間違えたかのような割れかけた太鼓の音も、粒子の荒い映像も、そして女性の化粧と腰の動きのすごさも、二十数年を経た現在でも鮮明に記憶に残っている。もちろん、「ジョーバンってどこ?」、「なんでハワイなの?」といった、当時からの根本的な謎と共に。

 タクシーは夕闇の舞い下りる山間を進んで行く。ちらほらと温泉街らしい看板が続いている。その中に、赤と黄色のツートンカラーの背景に黒で「SPA RESORT HAWAIIANS」と書かれた看板も見えてきた。これから行くホテルのあるリゾートである。デザインは結構お洒落だったので、少しほっとする。「これから行く所は、あの腰ブンブンのハワイアンセンターではないんだ、シティ派のお洒落なホテルなんだ。」
 だが、ホテルに到着してロビーに進むなり、数々の疑問が沸き出してくる。「なぜ、見渡す限りハワイアン・グッヅなのか」、「なぜ宿泊客は、みなアロハシャツを着て歩いているのか」。。。クラクラする意識の中(←まじで)、心は以前「モンゴル・風の会」にタルバガン和歌山公演を主催して頂いた時のことを思い出していた。その時は宿泊場所として「ロイヤルパイン」という素晴らしいホテルを取って頂いた。(ありがとうございました)しかし「パイン」だからって、宿泊客がみなパイン星人(詳細不明)の格好をしなければいけないというわけではなかった。だが、ここではすべてがハワイだ。札幌から革ジャンを来ていった自分がひどく浮いてしまっているのを感じる。

 チェックインする頃には、頭の中は「もしや、もしや、、、」で渦巻いていたのだが、フロント係りの一言ですべてを悟った。「本日のポリネシアン・ダンス・ショーは○○時からでございます。」そうなのだ。実際にここは、わずか数年前に生まれ変わったばかりの新生常磐ハワイアンセンターに他ならないのだ。(驚くべきことに、この真実は、ホテル内の案内等には一切書かれていない。部屋に入ってモバイルでネットを検索して見つけたのだ。)

 未だに加速度系のアトラクションには目がない私だが、翌朝小学校での演奏を控えてたった一人でホテルに泊まる今回のような場合、ウォータースライダーだの、ダンスショーだの、リゾート気分のテンションにはさすがにちょっとついて行けない。部屋でTVを見ると、館内放送で施設紹介のビデオが流れていた。非常に良く出来ていて、都会から来た風の小綺麗な若い女性二人が、このリゾートのプールや温泉を笑顔で満喫している。ビデオには例のショーのシーンもあったが、小さい頃見たCMと違って、もう思いだせないぐらいの印象しか残らない、当たり障りない編集だった。
 「SPA RESORT HAWAIIANS」は自らの生い立ち〜温泉街の秘宝館的な怪しさを秘めた、テーマパークの草分け〜を必死で払拭しようとしているように見えた。結局、温泉街に「楽園ハワイ」を夢見ていた時代感覚は、今や恥ずかしい過去になってしまったのだろうか。

 部屋に置いてあった館内用アロハシャツは、とうとう袖を通す気にはなれず、20時過ぎにジーンズとTシャツで散歩に出た。先ずは温泉。なぜか江戸風の大露天風呂があって(これまた何故江戸?という疑問は残るが)とりあえず湯に浸かってのんびりできた。その後、各種プール、ウォータースライダーやダンス・ステージなどがひしめいている巨大なドームに足を運んだ。ドームの方は、ショーも終わっていたせいか人影はまばら。何組かの若いカップルがプールで遊んでいる。ダンス・ステージも照明が落ち、深い闇に沈み込んで見える。

 こうして、二十数年来ずっと心に引っかかっていたあの強烈なテレビCMの「ジョーバン・ハワイアン・センター」に、ひょんなことからたどり着いてしまったわけだが、謎が解けた爽快感はあまりなく、むしろ時代の流れを感じさせる何とも言えないうら寂しいような気分だけが残ってしまった。

2000年11月1日
のどうたの会 嵯峨治彦

 

 

スパ・リゾート・ハワイアンズのホームページhttp://www.hawaiians.co.jp/

嵯峨のような妙な思い入れがなければ、結構楽しめるリゾートだと思います。
かっこいいオフィシャルサイトをチェックしてみよう。

旧常磐炭坑にみる事業転換の記録http://www.ibarakiken.or.jp/ibaraki/9908/point99-8.html

常磐ハワイアンセンターの沿革。炭坑と関係があったとは。なるほどなるほど。

検索サイト「Google」http://www.google.com/

「常磐ハワイアンセンター」のキーワードでネットを検索すると、私と同様の(?)体験をした方のエピソードをたくさん見つけることも出来ます。この検索エンジンで試してみよう。

喉元思案http://www.mmjp.or.jp/booxbox/nodo/nodomoto/ndmt014.html

のどうたの会「ニューズレター」のエッセイ・コーナー「喉元思案」に加筆訂正再収録。

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のどうたの会 嵯峨治彦 nodo@ma4.seikyou.ne.jp