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マイナー6度ホーミーについて

 喉歌は、基本的には声のルートの音と、それに含まれる倍音の成分の強調されたものの2音で音楽を奏でる。伝統的な喉歌は、ほとんどの場合ルートの音程を一定の通奏低音として固定する。

(#)デビッドハイクスやトランカンハイ、そしてサイタダさんの「オーミー」のようにルートを頻繁に変えて演奏する方法もあります。(まだの人は聞いてみよう!)

 ある日、等々力さんから「ガンボルト氏が奏でるマイナー調のフーミーのルートとメロディの関係がよくわからない」というメールが届いた。たしかに、ガンボルト氏の演奏では不思議な、妙に合ってないようなルートでの演奏をCDで聴いたことがある。。。以下は、りきさんへの返事を加筆訂正したものだ。

 

参考音源 ・・・・・ CD「超絶のホーミー」/ガンボルト (キングレコード)

最後から3曲目=tr-8
「十五夜の月(アルワン・タウニー・サル)」

最後から2曲目=tr-9
「ホヨル・ノタギーン・エルフ」

最後の曲=tr-10
「薄青く見える(ツェンヘルレン・ハラグダハ)」

 tr-8はごく普通の、長調の曲で、その主音をルートにした、もっとも良くあるタイプの演奏方法だ。しかし、tr-9、10は面白い。ルートの取り方が変なのだ。(ぜひその違和感をCDで聞いてみて欲しい。)

 まず、そもそもこれらの曲の調は C minor である。モンゴルの伝統的な五音音階なので、演奏に使われる音は

 絶対音名 C Eb F G Bb
 相対音階 ラ ド レ ミ ソ

となるはず。つまり、Cをマイナーのルート(=ラ)ととらえる自然短音階(ラシドレミファソラ)のペンタトニックとなる。

普通喉歌でこういう曲をやる場合は、まず曲の調を

 絶対音名 Eb F G Bb C
 相対音階 ド レ ミ ソ ラ

のように、平行調の Eb majorととらえる。こうすれば、喉歌のルートを、Ebメジャーのルートにする(=Ebで唸る)ことで、用いる音階がカバーできるからだ。

(平行調のメジャーをルートにするこの歌い方は、このアルバムの「十五夜の月」のひとつ前の曲「ユンデン・グーグー」でも使ってる。タルバガン2ndアルバム収録の「十勝馬唄」も同様。)

 ところが、ガンボルト氏は、なんとルートの音をAbとしている!!!もともとの調が Cminor = Eb major なのだから、Abの相対音階は「ファ」。そもそも演奏で使う音階がマイナーの2・6抜き (ラ1 シ2 ド3 レ4 ミ5 ファ6 ソ7 ラ1 の2番目と6番目を抜いてできるペンタトニック)だというのに、抜いたはずの6度の音そのものをルートにしているのだ。

 ところが、ヨーチンなどで伴奏がある場合、割ときれいに、「ちゃんと合ってる」ようにも聞こえてしまう。なぜか。

 その答えのポイントは、

 ●演奏に用いる倍音が非常に高音程であること

 ●ルートの声の音量を押さえ、かつ深いビブラートをかけることによって「ファ」→「ミ」と聴かせてしまうこと

の2つのようだ。実際唸っている「Ab」をルートにする倍音列を列記して、音階を解釈していくとわかりやすい。表にするとこうなる。

n倍音 絶対音名 Ab=ドとする相対音階
(フツーはこう解釈することが多い)
Eb=ドとする相対音階
(この曲での相対音階)
1 Ab ファ→ミと解釈
2 Ab ファ→ミと解釈
3 Eb
4 Ab ファ→ミと解釈
5 C
6 Eb
7 F-Gb ラ-シb
8 Ab ファ→ミと解釈
9 Bb
10 C
11 *    
12 Eb
13 *    
14 F-Gb ラ-シb
15 *    
16 Ab ファ→ミと解釈

結果として、C=ラとする、C minor のペンタトニックが見事に(?)出来あがる。「ファ→ミと解釈」はかなりのものだと思うが。

 


 それにしても、ガンボルト氏はなぜAbで唸ったんだろうか!?C minor = Eb major の曲なのだから、ルート Eb で歌えば一番自然(ユンデン・グーグーの要領だ)なのに。それに、C minor の曲で、うなり声=通奏低音としてAbを鳴らし続けるなど、和声学的にはまずやらない事のはずだ。

 音域の問題だろうか?しかし、例えばトゥバの歌手なら、ルートがEbだと低すぎることはない。ガンボルト氏も、あれだけ「固い」だみ声が出るのだからEbで十分演奏できるはずだが。

 多少うがった見方をすれば、現代のホーミーの美意識、すなわち響く倍音を重点的に楽しむ感覚に従うため、なるべく声に張りを持たせるためにルートの音を高くしたのだろうか。

 うむ。良くわからない。

2001 6/2

嵯峨治彦


嵯峨 治彦
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