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白布温泉日記 (2000 8/13〜8/18)

 700年の歴史を持つ温泉街=白布(しらぶ:山形県米沢市)。町のシンボルは、西屋、中屋、東屋と3軒並ぶ茅葺き屋根の旅館だが、2000年3月、火災で3軒中2軒が焼失してしまう。数ヶ月後、街の人々は温泉街復興の願いを込めて立ち上がり、1週間にわたる大型のコンサートを企画。嵯峨治彦(喉歌&モリン・ホール(馬頭琴))も出演した。

白布温泉のホームページhttp://www.vivi.ne.jp/shirabu_kanko/

今回のイベントはもちろん、温泉の紹介など、写真入りで見ることが出来ます。

のどうたの会 掲示板http://210.169.39.149/FreeBBS/018/nodouta.html

書き込み[788]〜[812]には、この日記へのコメントや、地元の方による現地レポートもあって面白いですよ。


 この日記は、今回のコンサートの様子、人々とのふれあい、米沢ラーメンの話などを、旅先のモバイルから「のどうたの会 掲示板」にレポートしていたもののまとめです。怒濤の文字ページゆえ、良い子は部屋を明るくして2〜3メートル離れて見てね。

 

●白布温泉日記1(8月13日その1)

 今晩、山形県米沢市の白布温泉で演奏会がある。火災で困難に直面した白布温泉が元気を取り戻すために企画した一週間に渡る音楽イベントに招聘していただいたのだ。
 千歳から飛行機で出発。山形空港はやはり帰省客とその出迎えでごった返していた。空港からバスでJR山形駅まで移動。
 お昼をとうに過ぎていて腹も空いている。米沢行きの列車時刻まで20分ある。そこで改札口すぐ横のファミリーレストランに入る。オーダーをとりに来た店員に1時47分発の列車に乗る旨伝えると、「あと20分しかないですよ。」と呆れられる。そうなのだ。空間的には自他共に見とめる几帳面な私だが、時間的には、いつも見積もりが甘い。自慢じゃないが、これは小学校1年生の夏休みの宿題からそうだ。間に合うような気がしてしまうのだ。先天的に希望的観測の度合いが強すぎるのだろう。むろん、このままじゃいけないとは感じている。時間は大切だ。。。反省する側・させる側として二人ともしばし沈黙。。。が、しかし、すぐお互いに客と店員だったことに気づく。店員は「注文の品が出てくるまで15分かかります。5分しか食べる時間がありません。ピザが良いと思います。」 「じゃ、それ。」15分後に出されたピザを黙々と頬張り、お冷やで流し込む。食べ終わってレジの時計を見ると45分。猛ダッシュで列車にかけこむ。奇跡的に間に合った。。。ここで間に合ってしまうから、反省しないんだろうな。
 米沢。3月のツアーで来たときは、意外にも大雪の米沢だった。今回も予想に反していた。非常に涼しいのだ。米沢駅で、オンザウェイの遠藤奥さんが運転する車にピックアップしてもらう。再会を喜んだ。3月お世話になった時には大きなお腹を抱えていた遠藤奥さんだが、つい最近お母さんになったばかり。「赤ちゃんだけじゃなく、胎盤も羊水も出ちゃったのに、まだ体重が戻らないんですよ。」と笑っていた。一度オンザウェイへ行って、奥さんと旦那さんが店番を交代。遠藤旦那さんの運転する車で細い峠道を進み白布温泉へと向かった。

 

●白布温泉日記2(8月13日その2)

 白布温泉は688年の歴史を持つ温泉だ。西屋、中屋、東屋の3軒が並んで開湯して現在に至る。軒を連ねた茅葺き屋根は白布温泉のシンボルだった。ところが、今年3月の火災で東屋と中屋が焼失してしまった。その困難を乗り越えるべく、白布温泉の若手スタッフが中心となって音楽イベントを企画した。それが、「元気湧きだせ!白布温泉 夕涼みコンサート」である。
 お世話になるのは火災をまぬがれた西屋旅館さんだ。現在の西屋旅館は約200年前に建てなおしたもので、その長い歴史が建物の至るところに刻まれている。玄関を入るなリ調和のとれた美しさに息を飲んだ。特に目を引いたのが、廊下一面を覆っている籐のござだ。これは材料を持ちこんで、直接廊下に編み込んで作られたものだそうだ。ござの網目が差し込む日を反射して、薄暗い廊下に美しい光のパターンを作っている。
 メールでやり取りしていた若旦那さん、3月に僕のライブに来てくれて、今回の企画に私を推薦してくれた弟さんとご挨拶。通された「紫すすきの間」の窓からは、のどかな裏山の景色が見える。視界をさえぎるものが無いのは、そこにあった二軒の旅館が焼けてしまったからである。中屋があった場所の裏にある杉の木は、建物のあった側が焼けて茶色になっている。今いるこの部屋は畳を返して消防士をいれ、この窓から放水したのだという。すぐそこまで迫った火から西屋旅館を守ったのは、たまたま茅葺き屋根に残っていた雪だったそうだ。こんなのどかな風景と笑顔を絶やさない旅館の人達が、そんな修羅場を経験したとは、にわかには信じられない。今回のコンサートの意味を何度も確かめた。ハカスに伝わる喉歌「ハイ」は、大地に眠る先祖の霊を喜ばせる特別な歌い方だという。私はハイは歌わないが、自分なりに祈りを込めて演奏しようと思う。

 

●白布温泉日記3(8月13日その3)

 この「夕涼みコンサート」は、一週間にわたって毎晩コンサートが開かれる一大イベントだ。会場は、中屋が「建っていた」場所が舞台となり、温泉の歴史を見つめてきた裏山の木々が背景という象徴的な特設ステージである。照明も音響も大掛かりで、オールスタンディングの観客席には、金魚すくい、水風船、綿飴、ポップコーン、ラムネの夜店もならぶ。白布開湯以来、こういった企画自体が初めてのことだというが、若手スタッフ達が中心となり、温泉街をあげて「手作り」で準備が進められた。6月に計画が始まったとは思えない充実振りである。第一日目(12日)は弘前の三味線グループ「多田あつし会」が出演し好評を博したそうだ。また、15日にはおなじみ札幌のケルティック風味アンサンブル「HARD TO FIND」も出演。他にもあまり「イベント的」ではない個性的な顔ぶれが登場するのは、スタッフに音楽ファンが多いからだろう。
 夜7時半開演。地元温泉街に暮らす人、コンサートを見に米沢市内から来た人、白布温泉宿泊中で(開湯時は西屋、中屋、東屋だけだったが、現在はいくつもの旅館が立ち並ぶ温泉街になっているのだ)にぎやかな雰囲気に誘われて浴衣で見に来た人。お盆にもかかわらず、大勢の人たちが集まってくれた。ソロで90分のステージということで、多少の解説を交えながら進めた。お坊さんから馬頭琴を頂いた話には拍手が起こった(本会WEBページ「喉元思案/仏の力」参照。special thanks again to T和尚)。静寂とせせらぎと虫の声相手の口琴の即興は気持ち良かった。アンコールでは沢山の馬が走った。リハのとき曇っていた空も、いつの間にか満天の星空となっていた。

 

●白布温泉日記4(8月14日)

 今回は西屋旅館に5泊する(←はい、幸せ物です(^^;)。温泉にこんなに長く滞在するのは初めてだ。純和風の宿に連泊しながら文章を書いていると、(といってもこの文章のことだが)作家にでもなった気分になる。次の予定は佐渡の国際芸術祭 Earth Celebration (8/18〜20)だが、それまで少しのんびりしようと思う。墓参りは一週間ほど遅らせることにした。
 とはいうものの、毎日ごろごろしているのではない。演奏等を通じて微力ながらお手伝いをさせてもらうのだ。まずコンサートのゲスト出演。3日目の出番は、地元で活動するトリオ「トリニティ」だが、そのリーダーであるギタリストの武田さんの提案で、私もゲストとして数曲参加することになった。また、17日は温泉街周辺の子供達が通っている小学校でコンサート。さらに、16日には西屋旅館の次男さんが働いている米沢市内の病院でコンサートが決まりそうだ。また、この日記自体もイベント紹介に一役かっていれば良いのだが。
 午前中は文章を書いていた。お昼は西屋の次男さんに近くの蕎麦屋につれていってもらう。ほぼ同世代の彼と食事しながら音楽の話しをしているとき、お互いに戸川純のファンであることが発覚。不遇の少年時代を語り合う。午後は入浴してから(感動の温泉レポートは後日)、セッション用の「オヨーダイ」と「天の風」のコード譜を用意した。
 西屋旅館の向かいにある若旦那さんの家でトリニティのギタリスト武田さん、バイオリニストあべさんと練習。その後、特設ステージでサウンド・チェック。この時キーボード奏者の女性の方ともご挨拶。
 本番。トリニティの演奏は、耳に心地よいお洒落なインストが続く。この時、初めてステージを客観的に見たのだが、ステージを照らす光りが、背景の林を浮かび上がらせる光りとあいまって、幻想的で荘厳な感じがした。後半、武田さんの素晴らしいギターソロに続いてジョイント・コーナーに参加。バイオリンの高い音で聴く「オヨーダイ」も良い。
 CD販売コーナーで演奏会に来てくれた人達と話ができた。昨日も来ていた地元の方で「白布のために二日続けて演奏してくれてありがとう」と声をかけてくれた方がいた。演奏者として嬉しい言葉であることはもちろんだが、「白布のために」という意識に、感動。

 

●白布温泉日記5(8月15日その1)

 朝5時。旅先では寝覚めが良い。モバイルで日記を書き足す。眼鏡を札幌に置いてきてしまったので、すぐに目が疲れる。ネットにアップしてから朝風呂を頂いた。
 「夕涼みコンサート」四日目の今日は、札幌のケルティック風味アンサンブル HARD TO FIND の四人組が登場する。米沢市内でアウトドアショップ=オンザウェイを営む遠藤さんの「副業」を通じて、彼らは何度も米沢に来て演奏している。
 昼は皆でラーメンということで、私も合流すべくバスで宿を出発。車内で、連泊していたお年寄りのグループだろうか、一連のコンサートの感想を語り合う声。うとうとしていたのでよく聞こえなかったが、好評そう。
 オンザウェイに着いて生後2ヵ月半の遠藤らなちゃんに初めて会う。まだ首が座っていないので慎重にだっこすると、ご機嫌だったのか可愛らしい笑顔をくれた。HtF ご一行と合流。今回は HtF の旧来の友人M氏も同行している。
 早速遠藤さんオススメのラーメン屋へ向かう。かなり郊外にあるにもかかわらず店は混み合っていた。この店では、主要メニューのネギラーメンを注文すると、店のおばちゃんが外に出ていって裏の畑のネギを採ってくるくことがあるらしい。米沢ラーメンは細麺のあっさり系で、札幌ラーメンや近隣の喜多方ラーメンとは対照的だ。ラーメンにポリシーを持った面子が揃い、ラー話に花を咲かせながら待つ。出てきたラーメンは、店が混んでいたせいか多少麺が茹で過ぎだったが、スープは良かった。M氏2杯。米沢ラーメン。。。好みである。
 その後小松崎号に載せてもらって白布温泉へ。大人6人と楽器の山を載せると、さすがにスピードは出ない。急な坂になっているワインディング・ロードゆえ、すぐに後ろに車が並ぶ。後続車に道を譲ると、大きなバスまでもが追い越していった。
 西屋旅館に到着。HtFご一行に、聞きかじりの西屋の歴史を語ってしまったり、西屋の美しさに感嘆する彼らの反応を見て喜んだり。数日先に来て滞在しているせいか、頭の中が「迎える側」モードに切り替わってしまっているのが、自分でもおかしい。

 

●白布温泉日記6(8月15日その2)

 オールスタンディングだった客席には、今日からビールケースの椅子が並べられた。また宣伝カーも始動した。スタッフの仕事がどんどん進化していく。若旦那さんの知りあいの和大鼓グループ「風の会」が急遽応援にかけつけ、数十分間、元気なステージを披露。
 7時半、HARD TO FIND のライブが始まった。私もじっくりとライブを楽しんだ。時々会場を見まわすと、みな演奏に引き込まれている様子。ポルカやワルツなどテンポの良い曲には手拍子も飛び出す。皆が知ってるおそらく唯一の曲「浜辺の歌」では、合わせて歌う人も。会場には米沢オンザウェイの遠藤さん一家とその仲間達、そして3月「草音云々ツアー」福島公演でお世話になった丹治さん一家も来ていた。演奏も照明も完成度の高いステージだった。終演後、私も「CDは、こちらでーす」と販売コーナーを手伝う。メンバー4人はサインで忙しい。
 明かりに誘われ大きな蛾が飛んできて、CDコーナーの横にいた小学生の襟首にとまった。その男の子の手には、夜店で買ってもらった紙コップいっぱいのポップコーンがあった。驚いて蛾を振り払ったとき、何粒かこぼしてしまった。横にいた母親が気をつけなさいと注意。ここでサインに一区切り着いた HtF のO柳さんが、いつものお茶目な悪戯を開始――男の子の左側に立って手を伸ばし、右側から襟首をモソモソとくすぐった。男の子は、さっきの大きな蛾がまた来たと思ってビクッと動き、激しくポップコーンをばらまいてしまった。「いい加減にしなさい!」。母親がその子の頭をぶって、バチッという音が響く。さらにこぼれ落ちる数粒のポップコーン。O柳さんはにやにや。たくましく生きろ、男の子。
 一段落ついて、旅館の大きな囲炉裏のある部屋で会食。さすが酒どころ、うまい酒が酌み交わされ、段々にぎやかになっていく。その後旅館の向かいの若旦那さんの家に会場を移して2次会。フィドル、ギター、馬の演奏も交え、夜はふけていく。深夜2時頃にお開き。オンザウェイ遠藤さん、小松崎さんとひと風呂浴び、私は部屋に戻って寝たが、小松崎さんの部屋では3次会が4時過ぎまで続いたという。

 

白布温泉のホームページ:http://www.vivi.ne.jp/shirabu_kanko/

 

●白布温泉日記7(8月16日その1)

 朝、HARD TO FIND ご一行は部屋でのんびりしていた。明け方までの打ち上げに加えて、のどかで落ち着いた部屋の中でせせらぎの音に耳を傾けると、もう眠くなるほどリラックスしてしまうのだ。
 出発前のひととき、昨夜の一次会の開かれた、囲炉裏のある大きな部屋で、皆でコーヒーを頂く。落ち着いた和室とコーヒーの香りが調和する。
 私は今日の午後、米沢市内のリハビリセンターで、入院患者さん対象の演奏をさせてもらうことになっている。そこで HtF ご一行に同行することにした。西屋旅館の玄関前で茅葺き屋根を背景に記念写真を撮ってから、出発。別れ際、小松崎さんが若旦那に声をかける。「今度はセッションしましょう。」 ギターマニアでもある若旦那は、昨日の打ち上げ=音楽と酒の宴を非常に楽しみにしていたのだった。しかし、この辺がつらい所だが、彼は太鼓グループの打ち上げの方に顔を出し、戻っては来なかったのだ。若旦那は「ぜひ!」と嬉しそうに笑う。昨夜、若旦那のギターコレクションを弾きまくっていた HtF の星さんもニヤリと笑う。
 道中、白布から十数キロ離れた小野川温泉に立ちより、温泉卵を食べた。熱くて殻をむくのが大変だ。皆で熱い熱いと言っていると、土産屋のおばさんが氷塊を持ってきてくれた。指先を冷やしながら、照りつける日差しと盆地特有の暑さの中でフハフハと食べる。うまい。
 オンザウェイで福島の丹治さん達と合流。丹治さんは12月に HtF の公演のコーディネートをする予定。皆で市内某食堂に移動。憧れの「つめちゅう」を頂く。これは「冷たい中華そば」のことで、「冷やし中華」のことではない。一見どんぶりに入った普通のラーメンだが、スープが冷たく冷やしてあるのだ。初めて頂くが最初の一口から衝撃を受けた。麺もスープも感動的にうまい。みな黙々と食を進める。――炎天下に蕎麦屋に逃げ込んだ時など、冷たいつけ麺のたれを飲み干したい衝動にかられたことはないだろうか。汗をかいた体は本能的に塩分を欲しているのだが、慣例にまかせ蕎麦湯を注いでから飲んでしまう。中途半端にぬるくなることの悔しさを、加味される蕎麦の風味で忘れているのだ。ところが「つめちゅう」では本能に従うことが許される。―― 米沢ラーメンのあっさりスープであればこそ、冷やしてもなおうまいのだろう。オススメ。

 

●白布温泉日記8(8月16日その2)

 食後オンザウェイに戻る。米沢盆地の暑い夏だ。店舗裏につながる遠藤さんのご自宅の、江戸時代からの歴史を持つ客間に通された。古い柱がひんやりと黒く光る。奥さんが運んでくれた麦茶を頂き涼しい一休み。丹治さんが、さっきの食堂の隣にあった和菓子屋で買った田楽餅を差し入れてくれた。三つの餅が串に並んでいる。餅を一つずつ食べて隣に串をまわし、皆でシェアする。うまい。HtF 同行の M氏、知らずに遠藤奥さんの分も食。一時過ぎ、HtF、丹治さん両ご一行が帰途についた。遠藤さん一家と共に見送る。急に静かになる。
 西屋若旦那の弟さんが、迎えに来てくれた。これから演奏に行くリハビリセンターは、実は彼の職場だ。ここでは入院患者さんを喜ばせるため、月に2回のレクリエーション企画がある。今日の企画が都合で流れてしまい、どうしようかと思っていたところに、私の長期滞在。ピンチヒッターとして私が演奏することになった。遠藤さんもビデオカメラを持って同行してくれた。
 会場の広い部屋には患者さんとスタッフあわせて約百名が集まっていた。車椅子の人が多い。脳卒中等のリハビリをする施設なので、年齢層は高い。久しぶりに「達者でナ」を弾いた。演奏後、若い言語療法士の方が喉歌について質問に来た。大正琴を弾いていたというおじいさんも間近で楽器を眺めている。関心の持ち様はそれぞれだ。演奏後は、弟さんに西屋旅館まで送ってもらった。
 「夕涼みコンサート」5日目は、ソプラノ歌手=ひらやすかつこさんとピアニスト=村島かをるさんのご出演。日記に手間取り、最後の数曲しか聞けなかったが、おなじみの曲を数多く歌っていたので、お客さん達も一緒に歌いながら楽しんでいた。それにしてもこの企画、出演者の多様性には驚かされる。もちろん今回は白布温泉復興のための企画なのだが、純粋に音楽イベントとしても、しっかりしている。行事として定着したら素敵だ。

 

●白布温泉日記9(8月16日その3)

 ひらやすさんのコンサート終了後一段落してから、西屋若旦那さんと弟さんが私の部屋に酒を持って現れた。3人で杯を交わしながら、今回のコンサート企画の話しに始まり、音楽、冒険、エスペラント、アニメ、果てはオカルトの話まで、楽しく語り合った。その内、我々には大きな共通点があることが分かった。それは田舎で少年時代を送ったもの特有の情報への渇望感だった。例えば、私は小学校から高校までを岩手県の久慈という小さな街で過ごした。そんな私にとって、夜になるとやっと届き始める東京のラジオ局からの電波は大切な情報源だった。ノイズ混じりの深夜放送を幾晩も聞いていたものだ。白布では周囲を山に囲まれていることもあって、電波状況はさらに困難だという。一度周波数を合わせても刻一刻と電波状況が変わって聞こえなくなっていく。そこで、完全に聞こえなくなる前に、同番組の別のキー局から放送される電波の周波数にパッときりかえるのだそうだ。しかもラジオのアンテナの付け根に指を当てると入りが良くなるから、冬など指がかじかんでしまうことも。
 市内から遠く離れた温泉街に育つと、遊び相手、話し相手は自然と自分の兄弟となる。そのため、この3歳違いの兄弟は非常に仲が良く、趣味も似ている。そして、そういった趣味に対する彼らの没頭ぶりもすごい。なんとこれは西屋の伝統だそうで、西屋の蔵には19代にわたる趣味人たちのコレクションが詰まっているらしい。
 夜中まで熱く語り合い、2時ごろだったろうか、お開き。弟さんが置いていった怪談の本を、酔った勢いにまかせて読みながら眠りについた。白布の夜がいっそう涼しく感じられた。

 

●白布温泉日記10(温泉について)

 生まれて初めて連泊することになったここ白布温泉は、地元の人達にとっても特別な存在。5泊もするということで、オンザウェイの遠藤さん達地元の方々に幾度となくうらやましがられた。
 まずはパンフレットの紹介文から――西吾妻山麓標高九百米に位置する白布温泉は、古くから蔵王、信夫とともに奥州三高湯の一つとして知られており、開湯は七百余年前、出羽の国の住人「佐藤常信」が笹野観音の託宣によりこの地を発見、この時に一羽の両目の腫れた白い斑のある大鷹が湯浴みをし瞬時のうちに平癒して飛び立つのを見て、白斑(しらぶ)の鷹湯と命名、自らも重い眼病が全快したと言い伝えられております。――私も連日のツアーレポートがなければ視力がアップしていたかも?
 浴室「滝の湯」は、いわゆる大浴場、というほど広くはないが、贅沢な雰囲気と、いつまでも入っていたくなる落ち着きを感じる。見渡すと、浴槽、洗い場、板戸で仕切られた打たせ湯、熱湯に満たされた湯舟(あがり湯?)がある。御影石で出来た浴槽も洗い場も、温泉の硫黄成分で真っ黒になっている。お湯には湯の花が舞っている。白布温泉は60度以上の源泉が力強く大量に沸き出す。滝湯となって流れ落ちる豊富なお湯の音を聞いていると、中屋、東屋の焼失からの復興は時間の問題にさえ思えてくる。三方を囲む壁は温泉の湯気にすすけた白木の板(この木造部分1世紀に4回立て替えているそうだ)。一方の壁は廊下に面していて、曇りガラスの格子戸になっている。その格子戸の上端と下端はそれぞれ天井と床から30cmほど離れていて、その間から、廊下の天井と、行き来する宿泊客の浴衣の裾が見える。高い天井を見上げると、半分は枠組みだけで、裏山の林と空が見えるようになっている。三本の打たせ湯のうち、2本は猛烈に熱い。外から見ると、湯元から引いた苔むした樋が、男湯、女湯それぞれに3本ずつお湯を供給しているのが分かる。浴室内には桶と一組のシャンプー&ボディソープのボトル以外、鏡もシャワーも椅子もない。どこに座ってどの方向を見ても綺麗だ。本末転倒な表現になるが、まるで旅の本のグラビア写真だ。この浴室に、掃除のとき以外、24時間いつでも入れる。滞在中、部屋から階段を下りて中庭の見える廊下を裸足で歩き、何度となく浴室に通った。

♪いい湯だな

●白布温泉日記11(8月17日その1)

 今日は、滞在中に決定した地元の小学校での演奏会がある。関(せき)小学校は、白布温泉から船坂峠の険しい道路を下りて8kmほどの所にある。温泉街の子供達が通っている生徒数38人の小さな学校だ。夏休みの終わりに、突然決まったこのコンサートには、26人もの子供達とその父兄が集まってくれた。顔ぶれには「夕涼みコンサート」で何度も会っている人達も結構いる。
 体育館にシートを引いて、低学年から順に横に並び、父兄は一番後ろの席。といっても数列しかないので演奏上の音量的な問題はない。外は快晴。薄暗い体育館の中には、開け放ったドアや窓から蝉や小鳥の声が響いてくるが、演奏を妨げるものには感じられない。
 モンゴルとトゥバの地理的位置を説明するために、先生方が世界地図を用意してくれた。馬の毛の張ってある「指示棒」を使って、ここが関小学校、と地図を指すとどっと笑いが起こる。「スーホの白い馬」は教科書に登場することもあってほとんどの子供が読んだことがある様子なので、この物語りに絡めて演奏されることの多い「ヤンジゲン・ゾートイ・モリ」からスタート。喉歌を交えた各種演奏に、アイヌの口琴=ムックリ独奏(といっても音の紹介程度)、サハの口琴=ホムス独奏(こちらはきっちり蝉とセッション)、喉歌教室、Q&Aを、約1時間に盛り込んだ。どの子も(大人も)真剣に聞いてくれた。演奏を聞く雰囲気作りは、学校での演奏に限らず大切なことだが、やはり理想的には大人数より小人数が望ましい。それに加えて、今回は聞きたい人にだけ集まってもらったので、集中力がさらに増していたように思える。色々な意味で生徒数の少ない学校に通うことは贅沢なことだと思う。
 演奏後、希望する子供たち数名にモリン・ホールの演奏を体験してもらう。弓を恐るおそる動かしてついに音が出た時の表情は、いつ見ても良いものだ。サインや握手を求める子供達もいた。昨日のコンサート出演のひらやすさん、村島さんも来てくれていたのでCDとサインを交換した。もうすぐ終る夏休み。子供たちの今日の絵日記に登場するのは、どんな顔の馬だろうか。

 

●白布温泉日記12(8月17日その2)

 体育館から校長室に移りスタッフの方々と和やかに話していると、遠くからサイレンの音。もしや消防車ではと、急に緊迫した雰囲気になる。地域には消防団を兼任する方も多いが、やはり3月の火災の影響は精神的に今もなお残っているのだ。すぐに誰かが電話で確認。白布が無事だと知って一同ほっとする。
 小学校を後にする。西屋の若旦那さんの車に乗せてもらい、米沢市内にまたもやラーメンを食べに行く。やはり米沢ラーメンのレベルは高い。もちろん「札幌ラーメン」は好きだが、ここ数年「札幌ラーメン」は、一般的なラーメンの範疇からはみ出した、いわば新しいジャンルの料理になりつつあるように思える。それはそれで否定すべきことではないけれども、シンプルな「ラーメン食べたい」という気持ちを「ちょうど良く」満足させてくれるメニューは、札幌市内のラーメン屋さんにも残っていてほしいものだ。
 旅館に戻り、一風呂浴びる。今回は西屋旅館に長期間お世話になっている。そのため、特に頼まれたわけではないが、ここ白布温泉で展開している動きを、何らかの形で公の場に紹介したいという使命感(?)にかられ、こまめに(←私としては)日記をネットに上げている。だが散策もせずにモバイルに向かっているだけというのも味気ないので、夕方ちょっと一休み。歩いて数分の所にある中屋別館「不動閣」の露天風呂に向かった。
 坂を下りていく。もともと白布温泉は、約700年前に上杉家が山中で秘密裏に鉄砲の製造を進めていた際、それに携わる職人達が滞在する場所として、西屋、中屋、東屋の3軒で始まったのだそうだ。現在は多くの旅館、ホテル、民宿、土産物店が立ち並んでいる温泉街だが、けばけばしい看板も無く、全体的に城下町の上品さが漂っている。(ただ一つ、白布の中心街からかなり離れたところにある「○んぽの宿」は、真黄色&トンガリ屋根でちょっと浮いている気がするが、、、)時どき小雨になるので外を歩いている人は少ないが、すれ違う人は浴衣を来たグループが多い。

 

●白布温泉日記13(8月17日その3)

 中屋別館不動閣の露天風呂は、建物の中にあるため天井があるものの、外に面した壁面がオープンなので、上から渓谷を見下ろすことが出来る。今日は薄曇りのやわらかい光りと湿った空気で、渓谷の向こうに見える山間の森の幽玄さが際立っていた。
 風呂からあがり、服を着て外に出ると、大雨。不動閣の門で少し雨宿り。同じく雨宿りしていたアブに何度か追いだされたが、小雨になったのを見計らって、早足で坂を登る。
 途中、「かもしか」という土産物屋さんに立ち寄る。佐渡でお世話になる鼓童のスタッフPちゃんへの差し入れだ。西屋の次男さんに強力にプッシュされていた地酒を購入。レジでどちらからと尋ねられ、今回演奏で札幌から来ていることを言うと、「あぁ!」演奏を聞いたと話してくれた。ここの娘さんは夕涼みコンサートでは毎日夜店を手伝っていたし、今日も関小学校で聞いてくれていた。「娘がうぃ〜♪っていうあれをやってみようとしていたんですが、うまくいかないみたいです」と笑う。
 夕涼みコンサート6日目の出演は、地元のジャズバンド「スターダスターズ」の8人編成(フルだと20数名のビッグバンド)。西屋の若旦那さん、弟さんともつきあいの古い友人達のバンドだ。ここでも前半が終わって私のソロ1曲に続いて「タルバガンの歌」で混ぜてもらう。ドシプルールの1カポでFのワンコードにすると、管楽器ともジョイントしやすい。私のホムス(サハの金属口琴)もキーFなので、リハの時ホムス・ソロも試みたが非常に良い感じだった。そこで本番で「口琴も使って演奏しますと」言ってから始めた。所が、ソロをまわしていくうちにホムスで入るべきところを見失い、気がつくとバンマスがエンディングの合図。「使う」と言った手前、最後のキメだけ「びょ〜ん」と一音成仏。
 本番中、大雨になる。野外ステージに用意しておいたテントをかぶせる。モリン・ホールの弦を合成素材のものにしておいて良かった。
 いよいよ明日佐渡に出発する。今日は打ち上げは遠慮して、先に部屋に戻る。しばらくすると、西屋の次男さんが風邪薬とビタミン剤とドリンク剤、そして乾燥機を差し入れてくれた。感謝。人も楽器も復活。

 

●白布温泉日記14 (8月18日)

 4時半に目覚める。最後の朝風呂を頂く。さすがにこれだけ早い時間だと風呂に入っているのは私だけだ。初の温泉長期滞在を味わい尽くそうと、3本の打たせ湯のうち、残りの熱い2本にも挑戦。その後、湯舟に静かにつかり、天井を通して夜明けの空を見上げながら、大きく深呼吸した。
 部屋に戻り、旅支度。毎日朝夕の食事を部屋まで運んでくれた仲居さんが、最後の朝食を準備してくれた。「お客さん、5日なんて早いもんですねぇ。」このタイミングのこういう言葉には弱い。お礼に札幌のお菓子を手渡すと「あらあら、どうもありがとうござました。おかわりは遠慮せずにおっしゃってくださいね。内線の9番ですから。」
 今回、長期滞在のお礼のつもりで臨んだリハビリセンター(16日)と関小(17日)での演奏は、どちらからも予期せぬ「お車代」を頂いてしまっていた。そこで、そのお金に些少だが +α して、災害対策委員長の西屋の旦那さん(当然だが若旦那の父君)に義援金をお渡しした。お世話になったお礼を述べ、あと2日続く「夕涼みコンサート」の成功と白布温泉の復興を祈ってお別れした。
 弟さんが車で米沢駅まで送ってくれた。車内ではエヴァンゲリオンに始まってコアな話しがまた盛り上がる。お互いに、たたけばもっとホコリが出そうだった。
 米沢駅到着は、新潟行きの電車が出発する4分前。。。またである。わざわざ見送りに来てくれていたオンザウェイ遠藤さんも、「ギリギリだと思ってましたよ。」 これから新潟で合流するのどうたの会のTTさんへと差し入れを頂く。感謝。二人と硬い握手を交わし再会を約束してお別れした。

 

 最後に、この6日間でお世話になった白布温泉のみなさん、米沢のみなさん、ミュージシャンのみなさんに厚くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 耳より情報:西屋の若旦那およびその弟さんは共に花嫁募集中です。

おわり

 

 

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書き込み[788]以降からしばらくは、この日記へのコメントや、現地レポートもあって面白いですよ。

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