速報:ゴビと馬頭琴の旅
日本人モリン・ホール奏者として活動を続けている私ですが、先日初めてのモンゴル旅行に3週間ほど行って来ました。この旅は、モンゴル情報紙「しゃがぁ」が企画し、「風の旅行社」が主催したツアー「嵯峨治彦と行くゴビと馬頭琴の旅」であり、私は「添乗演奏員」としての「仕事」を担当していたわけですが、やはり個人的にうんと楽しんでしまいました。そして、旅自体の面白さはもちろんのこと、モリン・ホールに関しても予想以上に大きな収穫がありました。いずれは詳しいツアーレポートをアップしようと思うのですが、 ここではモリン・ホールに関することを「速報」として短くまとめます。
嵯峨治彦と行く ゴビと馬頭琴の旅 〜天才奏者 牧民ネルグイを訪ねて〜
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2001年8月15日
のどうたの会代表 嵯峨治彦
首都ウランバートルから、ネルグイさんの住んでいるドンドゴビまでは約400km。車で1日半もかかる。未舗装の長距離移動にはロシア製のこのバスが一番。乗り心地は最悪だが、仮にどこか壊れてもとりあえず直せる。エアサスの上等なバスではゴビまでなんて行けないのだ。 |
がたごと揺られながら、ゆっくりと変化する景観を眺める。私の席には、照りつける太陽とエンジンで温められた乾いた熱風が、車窓から容赦なく吹き込んでくる。耳目鼻口すべてに砂。 1時間半〜2時間に一度休憩を取る。エンジンを切ると風の音だけが残る。そしてその風は、草原じゅうのハーブの香を運んでくる。 ウランバートル周辺ではなだらかな丘があちこちに見えていたが、南下するにつれてより平坦になっていく。そして草はどんどんまばらになっていき、ゴビの様相を呈してくる。 |
しかしその平原に突如として大奇岩群=イフ・ガザリーン・チョロー(大いなる岩場)が現れた。 ここは今日の野営地である。テントもあったのだが、銀マット&寝袋で外に寝た。噂通りの星空に息をのむ。 |
翌日もまた長い長いドライブを続け、ついにネルグイさんのゲルに到着。ネルグイさんとその家族は、360゜地平線のゴビ平原に、夏用の小さなゲル(向こう4つ)を建てて暮らしている。手前はツアー参加者用のゲル。 |
ついにゴビの牧民モリン・ホール奏者ネルグイさんと邂逅。 5歳から独学でモリン・ホールを始めた彼は今年50歳。彼は国の認める第一文化功労者であり、これまで北極星勲章(モンゴル文化省の出す最高勲章)、全モンゴル馬頭琴大会金メダル4つ、銀メダル2つ銅メダル3つを受賞するなど、天才演奏家と讃えられるが、1991年からは、ここゴビの地で遊牧民として暮らしている。 |
ネルグイさんのゲルに着いて間もなく日が暮れ始めた。高緯度なので時間はもう9時近い。 最初のセッションの始まる前に、モリン・ホールを持って外に出た。吹き続けるゴビの優しい風にモリン・ホールをかざして共鳴箱に耳を押しつけると、風が弦を撫でて生まれる無数のハーモニクスが彩り豊かな音楽となって聞こえてくる。無為自然なそのメロディは、聴くほどにあまりにも美しく、自分という人間がこの楽器を敢えて演奏する必要があるのだろうかという疑問さえ抱かせてくれた。これからいよいよ憧れの奏者とのセッションだと言うときに、根元的な疑問が湧きだしてしまったのだ。これにはかなり落ち込んだ。 |
ゲルの中でのセッションは、まずはネルグイさんの演奏「ヘルリンギン・バリヤー〜ジョノン・ハル」から始まった。 我々がCD等で聞き慣れている「芸術化された」モリン・ホール演奏を仮に「ヴァイオリン的」というなら、ネルグイさんの演奏はまさに「フィドル的」である。時に優しく、時に力強く、「巧く見せよう」というような人為的ないやらしさのない彼の演奏に、たった今耳にしたゴビの風の音色に通ずるものを感じる。「ありのままの自分を音色に託せばよい。」彼の演奏は、演奏直前の私にそういってくれたような気がした。 ネルグイさんの演奏法は現在「スタンダード」とされている演奏法とは違う。左手の親指を多用するし、薬指が低音弦をくぐることもある。こうして「スタンダード」な奏法では弾くことが困難なフレーズや和音を次々と繰り出し、独特の響きを持った演奏を展開する。そんな「ネルグイ奏法」の格好良さに惚れ込んだ私は、モンゴル情報紙「しゃがぁ」代表の西村さんが一昨年撮影してきたビデオを頂いて、その奏法の一部を「盗んで」習得していた。 私の番で、さっそくご本人を前に「ネルグイ奏法」を披露してみた。さらに同じフレーズを「スタンダード奏法」と「ネルグイ奏法」とで弾き分けてネルグイさんのほうをチラとみると、彼は嬉しそうな、驚いたような表情で微笑んでいる。自分の奏法を用いる外国人の私を、喜んで迎えてくれたようだった。 交互に弾いたり、ぶっつけ本番で合奏したり…。数曲で終わらせるつもりが、結構な時間のジョイントコンサートになった。その間、ネルグイさんも私も、ゲルに集まったモンゴル人も日本人も、みな終始ニコニコしていた。幸福な時間だった。 最初のセッションの後、ネルグイさんに「私とお前は兄弟だ。そしてお前は私の演奏の後継者だ」という言葉を頂く。あまりの嬉しさに返す言葉も見付からなかった。 |
ゴビ滞在中、生まれて初めて馬に乗った。初心者マークの私には非常におとなしい馬があてがわれた。「こうやると止まる、こうやると曲がる、チョーッと声をかけると動き出す。さぁ出発だ。」という西村さんの簡潔な講習会だけで約1時間のホース・トレッキング。最初はゆっくりポコポコ歩いていたが、ちょっと広いところではスピードを出す。声をかけるたびに起こる「ギア・チェンジ」が印象的だった。モンゴル旅行の常連=K井さんにくっついてスピードをあげる。ギャロップの時「ほーっ」と声をかけると馬も興奮してさらにスピードが上がる。恐怖心よりも疾走する快感の方が大きい。期待に反して(?)落馬せずに戻ることができた。 その後、さらに驚くべき事が起こった。馬頭琴奏者同士の友情の証として、そして私が先ほどの乗馬で「初心者なのに二位で帰ってきた」ことへの褒美として、(実は競争していた訳ではない。飛ばし屋のK井さんの馬にただ精一杯着いてきただけだったのだが。)ネルグイさんが私に馬を一頭下さるというのだ。それも足取り軽やかなとびきりの競争馬だ。 「おとなしい性質の馬だ」という説明があったのだが、ネルグイさんの息子さんが間近に連れて来てくれるまでに何度も飛び跳ねたりしていたのを私は見逃さなかった。去年と今年は大規模なゾド(雪害)があったためナーダム(夏祭り)の競馬大会には出していないが、今年の冬が無事過ごせたら、来年のナーダムに出す予定なのだそうだ。予定では騎手はネルグイさんの孫娘で、馬主として私の名前もクレジットされるという。「自分の馬に乗って見ろ」と言われ何とか写真を取る間だけ乗ってみたが、この日、数時間前に生まれて初めて馬に乗っただけの私は、いつ馬が飛び跳ねるかとびくびくしていた。 この馬は来年成馬となる。色は「ゼールト」。 贈呈式では、たてがみを刈り込み、数本の尻尾の毛を引っこ抜いて渡してくれた。たてがみは早速自分のモリン・ホールに飾ることにした。 |
ゴビ滞在中、何度も宴会が開かれた。銀の椀に注がれたアルヒが回ってきたら歌を歌いそれを飲み干す。牧民の歌い出す歌にモリン・ホールが伴奏をつけ、皆の知る歌は大合唱になる。暮らしの中の楽しみとして演奏されるモリン・ホールの姿を目の当たりにして、これは「ヴァイオリン」や「チェロ」というよりは沖縄の「三線」に近いポジションにあるという気がした。 またモリン・ホールの演奏は悪を清めるという。訪ねたゲルでモリン・ホールを演奏すると非常に喜ばれた。 近年急速に「芸術化」、「統一化」が進むモリン・ホールだが、こうした遊牧生活に密着した本来の側面が失われていくのは悲しい。ネルグイさんが私を後継者として認めてくれたのも、個人的には非常に嬉しいことだが、状況としてはちょっと残念な気もする。 |
ネルグイさんの演奏は、モンゴル情報紙「しゃがぁ」が自主制作したCDアルバム「ゴビの馬頭琴弾き」で聞けます。お勧めです。詳しくは、こちらをどうぞ。
●おまけ1:ダギーランズ
ゴビからの帰り道、モリン・ホール奏者ダギーランズさんにお会いすることが出来た。(椎名誠の映画「白い馬」に出演した馬頭琴のおじいさん。映画撮影の時一緒に仕事をしていた「しゃがぁ」の西村さんが、1回目のツアーで皆に紹介してくれたのだ。感謝。) ダギーランズさんは俳優としてのキャリアも長い。ネルグイさんもそうだが、素晴らしいアーティストがごく一般の遊牧民として暮らしているこのゴビの地はすごいところだと思った。 彼は私のモリン・ホールを使って一曲披露してくれた。70歳を越える彼の演奏は親指を多用するもので、むしろネルグイ奏法に近いものを感じた。モリン・ホールにあわせて渋みのある低い声で歌う歌は、非常にかっこよかった。ダギーランズさんにネルグイさんの話をすると「あぁ、あの天才に会ってきたのか」と言っていた。ゴビは歌とモリン・ホールの地といわれているそうだが、演奏家同士のつながりも強いのだろうか。 彼のゲルに招かれ、私も演奏を披露することになった。緊張した様子の私を見て、ダギーランズさんは「ワシはチ・ボラクのように格式張った男じゃないから、安心しろ」と言ってくれた。「4歳の赤毛の馬」をモリン・ホールとホーミーで演奏したところ、「サイハン(良かったよ)」という言葉を頂いた。また、「モリン・ホールはモンゴルの楽器だが、太平洋(の島国)で演奏するのも良いじゃないか。ホーミーは西モンゴルの芸能だが、モリン・ホールと会わせて奏でるのも良いじゃないか。」という言葉を頂けたのは「外国人奏者」として非常に嬉しかった。そして彼は最後に「がんばってチ・ボラクみたいに有名になれよ。」といってニヤリと笑ったのだった。 |
●おまけ2:ジャムヤン
後日、ウランバートルで、モリン・ホール奏者のジャムヤンさんにもお会いできた。(こちらは今回たまたま知り合ったモンゴル在住の日本人Mよ子さんとモンゴル人のボーイフレンドMギー君が紹介してくれた。感謝。)彼は今年84歳になるが、25歳でガビヤット(人間国宝)となった伝説的なモリン・ホール奏者である。今日の「芸術的」モリン・ホールの草分けで、多くの弟子を育てている。彼の話によると、彼は若き日のチ・ボラクさんに対して「演奏が中国的すぎる」と注意し、チ・ボラクさんは彼の演奏を学んで非常に「モンゴル的」な演奏になったんだそうだ。 私は彼の書いたモリン・ホールの本を通じて彼を知っていた。かなりの高齢だと言うことは予想していたので、こうしてお会いできて嬉しかった。彼は腰痛でしばらく入院しており、前日に退院してウランバートル郊外の別荘地に来ていたのだった。 彼に演奏を聴いてもらった。即興的なルバートと「ジョノン・ハル(ネルグイ奏法)」を弾いた。これに対して、「基本が出来ている」、「若々しいエネルギーがある」、「音色が良い」、「弟子にしても良いよ」というありがたい言葉を頂いた。自己流にならないよう独学を続けてきた私のような者にとっては嬉しい言葉だった。しかしながら、「細かいところをもっと勉強しなさい。オルティン・ドー歌手の伴奏をして装飾音を学びなさい」というアドバイスも頂いた。さらにもう1曲「十勝馬唄」を喉歌付きでやると、「モリン・ホール奏者ならモリン・ホールだけでやりなさい。」というお言葉。また、「伝統をふまえながらも日本人として新しい事をやりたい」というと「モンゴルの伝統を学びなさい。」というコメント以外、発展的なアドバイスは無かった。他にもいくつか質問をしたが、同席した末娘さんが主に受け答えをして最後に「ね、お父さんそうでしょ」と確認し、それにジャムヤンさんが頷くという具合だった。この辺りの話をまとめると、ジャムヤンさんはやはり芸術的モリン・ホールの中心人物としての誇りを持っており、ネルグイさんのような演奏家に敬意を払いながらも「フィドル(もしくは三線)」よりは「ヴァイオリン」を志向している方ということになろう。 彼はよほど機嫌が良かったのか、私のモリン・ホールを取って一曲弾いてくれたのだった。末娘の話ではこれは非常に珍しい事だそうだ。小柄なよぼよぼのおじいさんが、楽器を持つとシャンとなって、なんだか一回り大きく見えた。年齢による不確かさはあるが、やはり味のある非常に良い演奏だった。(若き日の彼の演奏の録音をCD化する話があるそうだ。楽しみ!) |
Special thanks to:日本からツアーに参加して下さった皆さん、日本側スタッフ「しゃがぁ」の皆さん、モンゴル側スタッフ「ハシ・シャガィ」の皆さん、ネルグイさんとそのご家族の皆さん、近所の遊牧民の皆さん、貴重なアドバイスを下さったモンゴル人演奏家の皆さん、彼らを紹介してくれた皆さん、同行取材のSTVの皆さん、ありがとうございました。
●おまけ3:タルバガン
共食い、ですな。
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のどうたの会 嵯峨治彦 thro@sings.jp