●モンゴル人同士
今回2年ぶりに日本から里帰りしたチョックさんのもとには、連日のように、親戚や旧友たちが訪ねて来るのだった。フフホト市内からはもちろんのこと、遠くの街からも鉄道で何時間もかけてやって来る。チョックさんは「今回の帰郷はほとんど内緒にしていたんですけどネ・・・」と、少し照れくさいような困ったような顔をするが、やはりとても嬉しそうだ。
久しぶりの再会を喜びながら、日本の土産を渡したり、ご馳走を食べに行ったり、いとこや親友の年少者(モンゴルでは分け隔てなく弟、妹と呼んだりする)にはお小遣いをあげたり。このモテモテぶりが、フフホトに来てからずーっと続いている。この調子だと、フフホトを離れて僕と一緒に草原地帯に行くなんてことが可能かどうか、少し心配になるほどだった。
とにかく、このモンゴル人同士の人間関係は、最優先事項である。核家族化が進む日本から見ると、その濃密さが信じられないほどだ。
そして、この人間関係は、たとえそれが初対面のモンゴル人同士であっても重要視されるようだ。
実は僕は今回フフホトに来るにあたって、ある届物を携えていた。
―――少し話しは前後するが、札幌を出発する数週間前、大家のN雲さんから小包が届いた。僕が内モンゴルに行くという噂を聞いて何か送ってよこしたのだった。僕なんかに気を使わなくっても良いのに、なんだか悪いなぁ・・・なんて思いながら開けてみると、中身は一冊の本と、モンゴル人の名前&連絡先が書かれたメモ、そして「彼にこの本を届けてほしい」という内容の手紙が入っていた。餞別は入っていなかった。さて、このN雲さんは世界中を旅行している元気なおばちゃんで、数ヶ月前には内モンゴルにも行って来たそうだ。そして、旅行中に通訳をしてくれたのが、なんでも稀に見る好青年のモンゴル人で、日本語の勉強に燃えている彼に、どうしてもこの本をプレゼントしたいというのだった。―――
というわけで、僕はフフホトに到着して早々に、その青年に本を渡すべく電話で連絡を取ることにした。とは言っても公用語は中国語。相手がモンゴル人と分からない限り、中国語で電話するのが普通だから僕に電話で用が足せる訳もなく、またもやチョック大先生に事情を説明して連絡先のメモを渡した。「ふむふむ。フフホトにあるカシミア製品を売っている会社の連絡先のようですね。彼はきっとこの会社で働いているんでしょう」と言いながらダイアルしてくれた。
電話がつながった。チョックさんが中国語で話し始める。「あー、もしもし。そちらに○○さんというモンゴル人は、いるアルカ?(偏見)」電話に出たのは職場の同僚らしい。「○○なら会社にはいるけれども、今別の階にいるから呼びに行くのが大変アル。面倒くさいアル。(同)」などと、何ともそっけない。チョックさんがイライラしながら食い下がる。そして一言二言話すうちに、何かの拍子で電話の相手がモンゴル人だということが分かったらしい。チョックさんの言葉が急にモンゴル語モードに切り替わる。「なぁんだ、あなたモンゴル人ですか。私もモンゴル人だよ。実はね、日本の友人が、あなたの同僚に届け物を預かって来たそうで・・・」すると電話の相手も、「そうだったんですか。モンゴル人の頼みならOKだよ。ちょっと待っててね。」とスグに青年を呼びに行ってくれた。「モンゴル人同士だと、こういう風に助け合うものなんですよ。」とチョックさんは自慢げに微笑んだ。
このモンゴル人同士の強い連帯感、助け合う気持ちは、遊牧文化の中で育まれた素晴らしい習慣だと思う。そしてこの美徳は皮肉なことに、近年の「内モンゴル」の状況を反映してさらに強まっているようにも思える。
内モンゴル自治区では、流入する漢民族人口が急速に増えつづけ、先住民であるモンゴル民族でさえ少数派になってしまった。フフホトの街を歩くと、そこら中に氾濫する派手な看板に公用語の中国語が並び、併記されてはいる縦書きの小さなモンゴル文字に気が付かなければ、ここがモンゴルだなんて信じられないくらいだ。また、食堂、雑貨屋、デパート、銀行などどこへ行っても、耳に入ってくるのは中国語ばかり。TVをつけても、限られた時間のモンゴル語放送をのぞけば、ほぼ1日中ずっと中国語が流れている。今では両親共にモンゴル人でもその子供がモンゴル語を話せないようなケースだってそう珍しいことではないという。正直なところ、僕のように少なくとも初めてここにやって来た外国人の目には、フフホトは確かに中華人民共和国の一地方都市として映る。
こんな状況だからこそ、自分のもともとの言葉で語りあえる友人、モンゴル人の友人は、本当に大切にする。彼らがモンゴル人同士の強固なコネクションを維持することは、モンゴル民族の存亡に関わっているといっても、決してオーバーじゃない気がする。
そして、このモンゴル・コネクションは、この後の僕の旅にも大きな影響を与えた。時にピンチをもたらし、時に大きな助けとなって、非常に起伏の多い旅にしてくれたのは、ほかならぬこのモンゴル人同士の強い絆なのだった。
※追伸: N雲さん、本は無事に渡して参りました。内モンゴルには近々もう一度行こうと思っていますから、もしまた彼に届けたいものがございましたら、何なりとお申しつけ下さい。
※追伸: N雲さん、念のために書きますが、次回も餞別なんて気にしないで下さい。ほんとに。
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嵯峨治彦
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