<8> ゴビ2〜風の音
  昨年の夏モンゴルに行った。ウランバートルを出発してバスに揺られること二日、ついに憧れのゴビの馬頭琴奏者=ネルグイ氏のゲル(移動式住居)に到着した。
 今年50歳のネルグイ氏は異色の名演奏家だ。ゴビの遊牧民の家庭に生まれた彼は5歳で馬頭琴を始め、遊牧生活を続けながら独学で演奏を極めた。その腕前は何度も国家的な表彰を受け、社会主義時代には劇場勤めの専業演奏家もしていた。しかし10年前の民主化とともに故郷のゴビに戻って遊牧生活を再開。現在は頼まれた時に自慢の腕を披露する暮しを楽しんでいる。

(c)ぽん田中 思えば、私がネルグイ氏の演奏を初めて見たのは、現地撮影のビデオ資料だった(撮影:モンゴル情報誌しゃがぁ西村氏)。彼の力強い演奏には、遊牧民の誇り、優しさ、そしてユーモアが満ち溢れ、最近の馬頭琴が洗練の過程で失ってしまった土臭い迫力が残されていた。また、近年統一された標準的奏法とは異なる彼の指使いからは、独特の複雑な和音が展開していた。この「ネルグイ奏法」に惚れ込んだ私は、ビデオを何度も見て彼の奏法を練習した。約1年半を経て、やっとこうしてご本人に出逢えたのだった。

 ところが、彼との初めてのセッションの直前、予想外の事が起きた。気持ちを落ち着けようと、夕暮れの地平線を見に馬頭琴を持ってゲルから外に出た時のことだ。吹き続けるゴビの優しい風に楽器をかざして共鳴箱に耳を押しつけると、風が弦を撫でて生まれる無数のハーモニクスが、彩り豊かな音楽となって聞こえてきた。この瞬間、演奏者としての根本的な疑問が湧き起こったのである。一体、自分という人間が敢えてこの楽器を弾く意味がどれ程あるというのだろうか。風の奏でる無為自然なそのメロディは、聴くほどにあまりにも美しかった。(つづく)

嵯峨治彦のおうまさんといっしょ
<8>ゴビ2〜風の音
2002/03/01

 


ゴビと馬頭琴の旅
〜天才奏者 牧民ネルグイを訪ねて〜

●フォト・レポート
 数々の賞歴に輝くゴビ在住の馬頭琴の名人ネルグイさんは、実際の遊牧生活を続けています。2001年夏、彼の奏でる真の遊牧民の音色を聞いてきました。ゴビの天才奏者と、日本人馬頭琴奏者の邂逅の記録。

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