ネルグイさん のこと
のどうたの会 嵯峨治彦
●大草原の演奏家
ネルグイさんは、ゴビの大平原で家族と一緒に静かな生活を送っている。普段は草原に暮らす普通の遊牧民である。しかし、訪れた客人をもてなすときや、歌に満ちた宴を楽しむとき、彼はゲルの天井にくくりつけてある袋から馬頭琴を取り出す。そしてゴビの馬頭琴弾きネルグイとして、誉れ高い腕前を惜しげもなく披露する。
今年(2005年)55才になるネルグイさんが馬頭琴を始めたのは5才の時。ある日、板きれを集めて来て楽器を自作し、誰に強いられるでもなく弾き始めたのだそうだ。「歌と馬頭琴の故郷」と呼ばれるゴビで育った彼は、土地に伝わる民謡や腕自慢たちの馬頭琴を聞きながら、そして時には流行歌や都会の「芸術的」馬頭琴を聞きながら、演奏の腕を磨いていった。おそらく彼は小さい頃から曲を覚える能力に秀でていたのだろう。今でも、レパートリーの膨大さと、初めて聴いた曲を覚えるまでの時間の短さには驚くべきものがある。
社会主義時代にはその腕を認められて馬頭琴奏者として劇場に勤め、旧東側諸国を演奏旅行したこともある(彼が若い頃使っていた馬頭琴を見せてもらったが、胴体の背面に訪問国名がナイフで刻んであった。)そんな彼の演奏は、モンゴルの馬頭琴大会で何度も金メダルを受賞し、最近は北極星勲章というモンゴル文化省の出す最高位の勲章まで受章した(→ Profile)。これらの勲章は赤い布に並べてとめて、自宅のゲルの壁の片隅に飾ってある(※)。
(※) といっても彼は決して自分の賞歴を鼻にかけたりはしない。そればかりか、専門教育を受けなかったことに多少引け目を感じているような素振りを見せることさえある。夏のゴビ・ツアーに日本からヴァイオリニストが参加するとを知らせたとき、彼はちょっと心配そうに言っていた。「有名なオーケストラのヴァイオリニストが来るんだって?私の弾き方を見たら、いろいろ注文つけるんじゃないかなぁ。」 ちなみに、このヴァイオリニストは2002年夏のゴビ・ツアーに参加したN響の斎藤真知亜さん。実際はもちろん「注文つける」なんてことはなく、互いに意気投合してたくさんの曲を合奏して楽しんでいた。この時の音楽体験は、真知亜さんの音楽観にも大きな影響を与えたという。
●衝撃〜遊牧民の馬頭琴
そんなネルグイさんの演奏を僕が初めて知ったのは、モンゴル情報紙しゃがぁの西村幹也さん(→ Profile)が、ゴビのフィールドワークで撮ってきたビデオを見せてくれた時だった。
ビデオの中で、ネルグイさんはゲルの中にいる数人の客人と家族のために演奏を披露していた。その映像と音に釘付けになった。それまでに聞いたこともないような複雑な重音のフレーズを、見たこともないような指使いで奏でる遊牧民演奏家の姿がそこにあった。
…僕は馬頭琴を独学で続けているが、これまで第一線で活躍する演奏家のビデオを見たり、機会があるごとに直接指導してもらったりしながら学んできたので、いちおう現代馬頭琴の標準的な奏法が身に付いている。そのため、ネルグイさんの奏法が「普通じゃない」ことはすぐに分かった。だが「普通じゃない」とは言っても、彼は自分のアレンジした曲だけでなく、現代馬頭琴のスタンダード・ナンバーもその運指でちゃんと演奏していたから、その指使いがかなり応用範囲の広い弾き方であることは明らかだった。こういう馬頭琴もあるのか、と驚いた。そして独特の奏法もさることながら、何より彼の奏でる土臭さい音色と、豪快で躍動的なリズム感が素晴らしかった。しかも、弾くのが楽しくて楽しくてしょうがないという様子。多少ほろ酔いぎみだったのか、弓がポンポン跳ねる軽快なアレンジの曲では、演奏しながら知らん顔して隣りに座っている牧民の頭を弓でたたいたりと、お茶目な一面も。かと思えば、じっくりとオルティン・ドー(長い歌〜拍節感のないモンゴルの代表的な民謡のジャンル)を奏でると、すこしかすれた切ない音色から、ゴビの荒涼とした自然の厳しさや、そこに生きる人間の優しさ、切なさが、しみじみと伝わってくる。
こうして遊牧民の演奏家がのびのびと弾いている馬頭琴は、これまで自分が見たり聞いたりしてきた専業芸術家の馬頭琴とは、まったく異なる印象を与えるものだった。例えるなら、芸術的馬頭琴がヴァイオリン指向なのに対して、ネルグイ氏の馬頭琴は徹底的にフィドルである。今にして思えば、それは単に「異なる」というより、むしろ馬頭琴らしさのエッセンスがより高密度に濃縮されていることの現れだった。その演奏に魅了された僕は、早速西村さんにビデオをダビングしてもらって、ネルグイ奏法の研究を始めた。譜面に起こしてみたり、スローで再生させながらビデオと一緒に弾いてみたり。奏法が身に付くにつれて、彼の奏法は、標準的なそれとは異なるものの、左手に無理がかからない独自の合理性の上に成り立っているということも分かってきた(→ネルグイ奏法)。その後、自分のライブでもネルグイさんの曲を弾くようになった。
●ゴビへ
2001年の夏、僕は初めてゴビにネルグイさんを訪ねた(→ 速報:ゴビと馬頭琴の旅)。最初の晩から、ゲルの中では馬頭琴セッションが盛り上がった。憧れの奏者が目の前で奏でる馬頭琴に、当然僕も大コーフンだったし、ネルグイさんも、日本からやって来た若造が同じ指使いで彼の十八番に挑むのを面白がっているようだった。交互に弾いたり、ぶっつけ本番で合奏したり…。数曲で終わらせるはずが、かなり長いジョイントコンサートになってしまった。その間中、ネルグイさんも私も、取り囲む大勢の遊牧民も日本からの旅仲間たちも、みなニコニコしていた。音楽のもたらす幸福な時間を噛みしめていた。
その後、外に出て満天の星の下で杯を交わした(ホントは缶ビールだけど)。この時ネルグイ氏は、彼の奏法の後継者として、外国人の僕を指名した。僕にとってこれは信じられないほどうれしいことだったが、それと同時に、現代馬頭琴界の現実を見せつけられた思いだった。現在、彼のような遊牧民演奏家の奏法は、モンゴルの若手演奏家達には受け継がれにくい状況になっているのだった。
●オラン・サイハンチ
馬頭琴をどうやってマスターしたか尋ねた時、彼は静かに話した。「私は楽譜を読むのは苦手だし、専門的な教育も受けたことはない。」そして両手を空に伸ばし天を仰いで続けた。「ただテンゲル(天)から頂いた力だけで、弾き続けてきたんだよ。」
ネルグイさんのように、遊牧民として生まれ育ち、専門教育は受けずに、その天賦の才能で芸を極めた芸術家は「オラン・サイハンチ」と呼ばれる。中には彼のような国家的勲章受賞者もいて、彼らの芸術は人々の尊敬を集めている。しかし、オラン・サイハンチの至芸には、モンゴルのディープな草原地帯に足を運ばない限り、めったに遭遇できない。それにはこんな理由がある。
現在知られている馬頭琴は、モンゴルの近代化に伴って約半世紀ほど前〜20世紀半ば頃から急速に近代化し、舞台芸術としての進化を続けてきた。こうした動きは、ウランバートルやフフホトなどの都市部で始まり、クラシック音楽に基づく専門的な音楽教育が導入されることで、馬頭琴のプロ奏者は専門の教育機関で養成されるのが普通になったのだ。現在、日本など外国へ進出し、演奏会やCDリリースなど積極的に音楽活動を続けている馬頭琴奏者のほとんどは、こうした背景を持っている。彼らは、馬頭琴の新しい可能性を広げて来たし、馬頭琴が我々外国人にとって身近な存在になってきたのも、彼らのおかげである。しかし、その一方でオラン・サイハンチの馬頭琴奏者は、かえってめずらしい存在になってしまったのである。
●いよいよネルグイさんがやって来る!
Project-Nによるネルグイさんの日本ツアーは、「オラン・サイハンチ」の馬頭琴奏者を日本に招いてツアーを組むという前例のない試みとして、2003年に始まった。(参考→2003年の公式サイト)北海道から沖縄までの2ヶ月ほどのツアーとなったが、全国各地で大好評を博し、まさにゴビからのネルグイ旋風を巻き起こしたのだった。2004年春には短期間の来日公演もし、ネルグイファン達が演奏会に集まった。
近代馬頭琴がクラシック指向の進化を急いでいる今だから、そして、馬頭琴に関心を持つ日本人が増え始めている今だからこそ、馬頭琴の原点を感じさせてくれるネルグイさんのライブ・ツアーには大きな意味を持ち続けるだろう。
どうぞライブをお楽しみに!彼の素晴らしい演奏と人柄に、ぜひ間近で触れてみて下さい。
のどうたの会 代表 嵯峨治彦
のどうたの会事務局
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